「あんまり魚が釣れすぎると、労働に変わるのサ」
公開日:
:
最終更新日:2017/03/24
et cetera
> 「あんまり魚が釣れすぎると、労働に変わるのサ」
> 釣りに連れていってくれた漁師のおじさん
(清水ミチコ まあいいさ)遊びが労働に変わるのサ
釣れないとおもしろくなく、
たくさん釣れると楽しいんだが、
たくさん釣れすぎるとそれはそれで嬉しいんだけれど、
「誰それさんの分」と考えたり、
機械的な動作になって、
効率化を目指したりして、
作業、労働になってしまうとのこと。
清水ミチコさんが書いたように、
「遊びは、どこかで切り上げるから面白い」
と考えるのも一つ。
「遊びやおもしろい、と思う範囲をどんどん広げるのが、仕事と遊びの区別がついていない人」
と考えるのも一つ。
そんなのは、一所懸命に探しても眺めても見つかるはずはなく、
自分の中の「おもしろい」の種を見つけて、
実際にとことんまでやってみるしかない。
他者との比較でもなく、
自分の成長を喜ぶだけでもなく、
ただ黙々と作業するだけでも楽しいことがある。
そうやって、仕事と遊びの区別がつない人が幸せなんだなあ。
その時、
やりたいことだけをやる、ではなく、
やりたくないことをやらない、ではなく、
必要なことの中におもしろさを探しつつやって、
結局おもしろさがなくてもかまわないと思ってやる
ことなんだよな。
事前に楽なこと、確実なことだけ見つけてやろうとしてはいけないんだな。
そこにおもしろさはない。
「楽(らく)しよう」はあるけれど。
~~~~~~~~~
そういえば、
写真を撮る
お土産を買う
食べる
走る
なんてのも、限度を超えると楽しくなくなって作業になる。
これも、どこまででも楽しければいい。けどなあ。
関連記事
-
-
『遊びとは、時間とエネルギーと器用さの「純粋な消費」』
> いかなる富も、いかなる作品も生み出さないのが、遊びというものの特徴である。 > ロジェ・カイヨ
-
-
いつも「よそごと」としていると、「ヘルプ」と言いだせない。
> 今の社会で起きている課題の多くは「よそごと感」が作り出してる気がするんです。 > 飛田敦子
-
-
愛の証拠や手順、ポイントカードはない
> 人は、利己心が相手の中にまるで見えない時にも、自分が本当に愛されているかどうかを、深刻に思い悩む
-
-
昨日から続く明日を精度高く予測して幸せ?
「進化」「発展」と思える明日、1年後、100年後は、 昨日と今日を結ぶ線を伸ばした先にはない。
-
-
心地よい眠りをプレゼントする
> 「たぶん人は人に心地よい眠りをプレゼントする以上のことはできないんだよ」 (春に散る:484
-
-
映画の批評を読んで悲しくなることがあります
Facebookに映画の感想の感想を書いている人がいて、それに対してコメントを書きました。 ~
-
-
「一瞬一瞬どう在るか」
「生き方」より「在り方」 沢木耕太郎さん「春に散る」、加筆し書籍化 より 連載時、惹かれて読み
-
-
「自然の力は人間ごときがまねしようと思ってできるもんじゃない」
> 私は壁のシミを隠すぐらいのものは描きますが、シミの方が美しいかも。 > 篠田桃紅 (折々の
PREV :
「いじめ対策」のゴール
NEXT :
「あなたに任せるわ」


