人の借景として私は
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et cetera
散歩していた時、反対側の堤防の桜の木の下を人が自転車で通り過ぎました。
「きれいだな」
そう思う自分がいました。
ふと、どこかで読んだ文章を思い出しました。
「人は周りを借景として生きている。
そして、自分もまた、周りの人の借景となっている」
つくづく「そうだなあ」と。
もし、そうであれば、美しくありたいと思ったのでした。
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