人の借景として私は
公開日:
:
et cetera
散歩していた時、反対側の堤防の桜の木の下を人が自転車で通り過ぎました。
「きれいだな」
そう思う自分がいました。
ふと、どこかで読んだ文章を思い出しました。
「人は周りを借景として生きている。
そして、自分もまた、周りの人の借景となっている」
つくづく「そうだなあ」と。
もし、そうであれば、美しくありたいと思ったのでした。
関連記事
-
その年にならないとわからないこと
> 生きなければわからないことがありました。八十歳を越えてから、やっといまわかったということが、たく
-
ダメ出しと自己基盤、そしてコーチの出番
Old & new foundations under Central Station Amste
-
Googleで、もっと
コーチングでも何でもないけれど、思わず見入ってしまいました。 『Googleで、もっと
-
「僕はひとりだ」と思った幼い時の自分を心からいたわる
WAKASA Yoshihiro[/caption] 先の記事、 「僕はひと
-
「自然の力は人間ごときがまねしようと思ってできるもんじゃない」
> 私は壁のシミを隠すぐらいのものは描きますが、シミの方が美しいかも。 > 篠田桃紅 (折々の
-
目標は、ワクワクするものでも、楽しいものでもない
宇野昌磨、ファイナル進出へ「まずSPから頑張っていきたい」https://www.sponichi.
-
「どうも狭いところに落ち込んでいるな」と思っている人へ
今日は、この記事の紹介。 ワークショップ設計で大切なことは、だいたい高校部活から学んだhttp
-
靴が悪いのか、足が悪いのか、歩き方が悪いのか
Facebookに、こんなことを書いた。 ~~~~ 足の指の形、歩き方、靴のつま先の形、どれ
-
Merry Christmas!!
Merry Christmas!! あなたの愛ですべての人に素敵なクリスマスを。 サンタにも
PREV :
パラレルワールド
NEXT :
「脳は楽観的に考える」