仏教が日常に染み付いているチベット人の瞑想
公開日:
:
最終更新日:2016/05/31
et cetera
尹雄大 @nonsavoir
仏教が日常に染み付いているチベット人の瞑想
(Twitterより引用)
(全文はリンク先をご覧ください。
Twitterなのですぐ読めます。)
もし、生活上の気づきであれば、
「瞑想は日常の中にある」
と僕は思うんだな。
だから、リンク先のTwitterは正しい。
~~~~~~~
一方で、
「空っぽの体験」
「自分とは何か?」
といったものは、
普段隠れている自分自身の何かが姿を表しやすい場所の力を借りた方がいい。
「普段隠れている自分自身の何か」
って、わかっていれば探す必要はないし、
わかってもどうということはない。
人が知ったことを聞いたところで
自分は違う体験で違うことを知るかもしれないので、
あまり意味がない。
でも実は共通のものを知ることになるかもしれないが、
あらかじめ答えを知っていたら近づきやすいかと問われたら、
・・・・・
どうなんでしょう?
むしろ遠くなるように感じる。
「自分の体験」は身体で感じる体験で、
「聴いた知識」は囚われの幻想でしかないのだろう。
~~~~~~~
ただ、
「瞑想は日常の中にある」
とそんなことも考えずに
その通り生きるのは、
「ありのままで豊かな生活」
と言っていいだろう。
関連記事
-
-
会社を辞めることと、 自分らしく生きることは何の関係もない
最近立て続けに「会社を辞められない」系の話を聞くのだけど、会社は退職届けを出して就業規則に書いてある
-
-
「本当の気持ちがいちばん大事」
> ■本当の気持ちがいちばん大事 ((一語一会)エッセイスト・しまおまほさん 父からの言葉 より
-
-
メンドクサー、とろー、うるさー
こんな言葉を口癖のように使う人がいます。 「メンドクサイ奴」 「とろい奴」 「うるさい奴」
-
-
傲慢な人、自分を卑下する人は、人としてはまったく同じタイプ
> 傲慢(ごうまん)な人々、自卑におちいる人々は、感情に極度に屈従する人々のことである。 > スピ
-
-
すべてのものは、残らないものに価値があるのだろうか?
> 身体や大地に描き、やがてそれらは消えてしまう。残らないものにこそ、価値があるのだ > 石井竜也
-
-
趣味とか癖とか生き方とか性癖とか、理解する?ただ受けいれる?
Twitterより 同性愛とか性的マイノリティ差別の話になると「理解を」ということになりがちだけど
-
-
忘れる前に、わあわあとアウトプット
これおもしろい。 僕も似たようなもの。 ただし、 ・忘れたら忘れた
PREV :
その歌い手は、神からのメッセージを伝える人か、民の歌を歌っているのか
NEXT :
受取ってもらえるだけで嬉しいんです


