蜷川幸雄さんに降りてきたメッセージ
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et cetera
大竹しのぶさんのこのような記事がありました。
(大竹しのぶ まあいいか:122)涙が、止まらないhttp://digital.asahi.com/articles/DA3S12367953.html?rm=150
蜷川幸雄さんを追悼する記事です。
僕は、蜷川さんの舞台を見そびれた経験があります。
あれは、元号が平成に代わった年のことでした。
大学を5年かけて卒業して、金沢に引っ越してすぐの4月に
静岡で蜷川さんの舞台上演が計画されていました。
チケットを取ったかどうかは記憶にないけれど、
観ようと思って、金沢から静岡まで鉄道旅行した記憶があります。
何が原因だったか忘れましたが、上演が中止になりました。
それでも静岡に行きました。
それくらいの記憶です。
~~~~~~~
ここで書こうと思ったのはこのことではなくて、・・・・
「マクベス」のニューヨーク公演の話を読んで。
200年前に使われたドレスが出てくるような、
蜷川さんに降りてきた
神さまからのメッセージとしか言いようがないもの
受取るには、ただならぬほど「のめり込」まなくてはならないのか、
誰にもいつでも降りてきているけれど、
ただ受取れていないだけなのか。
どちらなんだろうか?
と、思ったのです。
受取るには、「素直に」受け取るしかないのですよね。
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