「本当におしゃれな人は・・・」
公開日:
:
最終更新日:2016/06/01
et cetera
> 本当におしゃれな人は、人のことダサイとか言わないんだよ。
> ある若者
(選・鷲田清一)
そうだよね。
と少なくともおしゃれの側の人ではない僕は思う。
~~~~~~~
これって、「おしゃれ」だけに限らない。
「この人はわかっている」
「この人は悟っている」
「このひとはできる」
「この人は知らない」
これらの逆に見える人を評価するには、
自分が先に行っていないとできないもの。
でもそれと同時に、
「自分が先に行っていると誤解している」時にも口にしてしまう。
~~~~~~~
自分はどちらだろうか?
~~~~~~~
そんな評価をすることに意味があるのだろうか?
~~~~~~~
自分が気づいていないことを教えてもらっているのではないか。
と心底思えるようになるには、
とことんの経験が必要かもしれない。
同じことは、宗教の世界の人、何かを究めた人が口にする。
だから、言葉自体は聞いたことがあるし、
知っているし、
その大事さは思考で理解できる。
でも、人間らしい反発心からの反応もしつつ、
「教えてもらっている」という心のモードにすぐに入るには、
自分でこのことを経験していないといけないだろう。
他人の経験は証拠にならないから。
※一部修正しました。(2016.06.01 00:26:13)
関連記事
-
-
三輪山までの乗換案内を調べてみた
Francis and Sawdust / mtsofan[/caption] 「聖地巡礼
-
-
没頭できる音環境をつくる
朝日新聞の文化面に津村記久子さんの文章がありました。 『環境音の暗示 朝
-
-
「わかりあえないことと、好き嫌いは別」
コミュニケーションの基本ルールは、みんな知っているようでいて、知らないものだ。 僕も学校で、これを
-
-
他人に理解されない「自分の物差し」
> 今週の貴方は、おそらく > 他人には理解のできない物差しを使って > 「ムダ」と「必要」を切
-
-
自分は何の能力が秀でていて、それを使っているのか?
まずは、 自分が「前者」なのか、「後者」なのか 知って受け入れることです。 「前者・後者」
-
-
自分の最初の2,3年
> 自分が親になって自分の子どもを見てると、 > 最初の自分の空白の2、3年が、見えてくる >
-
-
その人がそこにいるだけで嬉しい
> 誰も、誰かから必要とされていない。必要性がないのに、その人がそこにいるだけで嬉(うれ)しくなって
-
-
その年にならないとわからないこと
> 生きなければわからないことがありました。八十歳を越えてから、やっといまわかったということが、たく