自分が受け取りたい優しさを人に施して、心の空洞を埋める
公開日:
:
最終更新日:2016/12/29
et cetera
途中、お母さんのことを振り返って、
> 自分が受け取りたい優しさを人に施して、心の空洞を埋めていたのでは
と分析されています。
それは、その人の優しさではないんですよね。
心の弱さの表れではあるけれど。
返礼を求めているのがなんとなくわかる。
返礼を期待して延々と貢ぎ続けるか、
相手が自分が求める礼を返さないと考えたとたん手のひらを返したようにする。
それはまだいいのだけれど、
「それがコミュニケーションだ」
「それが人付き合いだ」
と理解し、
周りの人をその世界に巻き込もうとすると、周りが大変なことになる。
もっと大変なことは、
「か弱い自分」
「貢げる強さがある自分」
「 “世間の常識” をキャッチし続ける自分」
これを切り替え続けないといけなくなるので、
心と体がバラバラになる。
「だらしない自分」
「ガラが悪い自分」
も否応なく見なければならなくなるので、ますます装うようになる。
こんな前提は、捨てて生きることができる。
まずは「捨てよう」と思うこと。
「捨てる」だけだと「また拾いなおす」ことが多いので、
代わりに、自分の感覚にぴったりの
「気楽に生きているのにキラキラしている自分」を身につけること。
その魅力的な姿は、思考や他人をうらやましがる心が作り上げてしまって、
つい自分の感覚とは離れてしまうんだけどね。
と、わかった上で、理想の自分の姿をイメージするしかない。
関連記事
-
-
「全部抱えて生きよう」と気づくきっかけに
大竹しのぶさんの素敵な言葉。 ~~~~~~ 心の奥底に沈んでいた悲しみが、表に出てきたことによっ
-
-
「怒って」その結果を引き受けるのが自分
> では、怒らずにどうしていたか。むかついていました。 > 清水真砂子 (折々のことば 選・鷲
-
-
眠りたい。食事をしたいと思わない。
あくまでも僕の場合ですが、 ・眠りたい。 ・食事をしたいと思わない。 という時は、
-
-
毎日新聞の「跳べ!イトリ」
毎日新聞に連載されている 伊藤ハムスターさんの 跳べ!イトリhttp://mainichi.
-
-
「創作」は、説明と感覚の折り合いをつけたところに
> 創作の世界に代わる価値あることに、かつて写真に打ちこんだほどの重さでもって、今の生活の中でとりく
-
-
怒りのエネルギーを分散しない
> 怒りを分散させちゃいけないよ。 > 萩原健太 (選・鷲田清一) 萩原さんの言葉も、鷲
-
-
コーチング・エクササイズでも、きちんと成果が出ています。
別のBlogですが、このような記事を書いていました。 『「戦略の最小単位『質問力』を高める
-
-
「がっかりして、残念で、くだらなくて、失望して悔しくて。何のために・・・」
> がっかりして、残念で、くだらなくて、失望して悔しくて。何のために、あの事故はあったのだろう >
-
-
「やってしまった体験」がないと受け取れない
> やろうとしたわけでもないけどやってしまった、ということのほうが表現としての価値を大きく占める