「畏れ」と「恐れ」
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最終更新日:2017/02/11
et cetera
> 畏(おそ)れると恐れるとのちがいを若い人は知っていない。
> 遠藤周作
(折々のことば 選・鷲田清一)
「恐れる」ときにはおびえるしかないが、
「畏れる」ときには天の仕打ちを恐れ、恨むこともありつつも、
一方で、明るい気分でその状況を受け入れることもある。
「恐れる」のは、相手が人間、
「畏れる」のは、相手が天といってもよかろう。
あがいても、どうにもならず、
あがけばあがくほど泥沼にはまり込み、
力を抜いたら最初は翻弄されるが、自然とベストの場所に送り届けられる。
損得や執着は、手放したほうがいい。
まったくすべて捨てたと思っても、何が役に立つかわからない。
畏れは敬意。
でも天は、力が強すぎて無茶なことになることも多い。
そこまで受け入れてみよう。
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