「スーパー後者」に押し出されて「後者」は、「前者もどき」に変身する
公開日:
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最終更新日:2016/12/05
et cetera-前者・後者, et cetera
と、
の話が僕の中で繋がりました。
『前者的(親的)』と書きましたが、
お母さんは親としての責任はすべてきちんと果たされています。
その上で、
相手に対するコミュニケーション、
会話、
どの視点で生きているか、
という話です。
誤解の無いようにお願いします。
~~~~~~~
何に気づいたかというと、
「後者でも、相手が先に後者になると、『前者的』に振舞う」
科学の世界でありますね。
「中性の物質でも、酸性の物質が隣に来たらアルカリ的に振舞う」
「弱酸性の物質でも、より酸性度が強い物質が隣に来たら、アルカリ的に振舞う」
コミュニケーションの場でもありますね。
「おしゃべりな人も、もっとおしゃべりな人が来たら聞き役になる」
「無口な人も、もっと無口な人が来てコミュニケーションしなければならなかったら自分から話す」
魚の世界の雄雌転換にもそんなのがありました。
政治の世界でも・・・・・
ご想像にお任せします。
それで水野さんは、
後者だけれど、
もともと「幹事」の仕事ができる人です。
(「幹事」というのは、すべてを見回して把握している必要があるので、「前者」的な役目です)
(幹事とは、飲み物、食べ物が足りているか注意を配り、
楽しめていない人がいないかにも気を配り、
話題が途切れたら新しい話題を投入し、
それなりに全員がいろいろな人と話せるように途中の席を替え、
最後の会計でお金をきちんと計算する人です)
それは、必要に迫られて、立場的にやらなければならなくて、身につけた能力です。
(ご本人に伺っていないので、「仮説」です)
今回の懇親会では、
「後者」だし、
今回のセミナーの主催者で「先生」の立場だし、
本来は幹事をやらなくてもいい立場です。
でも、周りの後者は先に「後者」能力を最大に発揮して自分の世界に入っているは、
前者もあっけに取られて自分の能力を発揮できなくなっていて、
水野さんが「相対的に」幹事的な役割をすることになったようです。
~~~~~~~
それにたいして「にゃあさん」の話を読んで、
僕の母を思い出しました。
ほとんど一緒です。
祖母もそうでした。
わがままな訳ではありませんが、
すべてが「私は~~」です。
「私はこう思った」
「私はこう考えた」
「私がこれをする」
「私がこう考えてしてあげた」
「(そこはコチラが考えると言っても)私が考えて文章を書き込んでしまう」
そして、
「親もしくは夫としての頼ってもいいと思える振舞いを求めている」なあ、と感じるところまでいきました。
するとどうなるか。
僕が、「前者的な役目」を背負い込むのです。
(「夫」の役目は無理だと思いましたが。)
頑張れば、何とか役目を順番に回すことができます。
役目を果たすのに必死です。
僕のベースである「後者」的な反応は変えようがありませんが、
「後者」として生き生きと生き、自分を元気づける生き方には蓋をしていたように思います。
できないことではないので、
自宅以外の場でも、「前者」的役割を引き受け、振舞ってきました。
そして、
高校を卒業し、大学に進学するのを機会に、家を出ました。
限界を越えるところで逃げ出したのだと思います。
けれど、その後、どこに行っても、
「後者的反応」で
「前者的行動」をするので、
自分はしんどいし、
成果はそれなりのものだし、
「やりたい」と思って始めたものではないものばかりで、
やはり成果はそれなりだし、
「やりたい」という「後者の生き生きさ」の出し方、使い方を忘れてしまっていました。
~~~~~~~
話を元に戻すと、
「後者」が、
「前者もどき」
「似非前者」
「仮面前者」
となるのは、こんな必然があったのじゃないのかな、と思ったのです。
もちろん、社会は前者な人を求め、
前者の評価基準で評価します。
だから、「前者的振舞い」を身につけなければならない
という事実もありますが。
「後者」が、「スーパー後者」に囲まれると「前者」になる、
というのは、こういう仕組みではないか、と思うのです。
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