「わかった」と思ったとき、「ホント?」と問う
公開日:
:
最終更新日:2017/03/26
et cetera
> 人は、見晴らしがよくなった瞬間をこそ、もっとも恐れるべきなのかもしれない。
> 三浦雅士
(折々のことば 選・鷲田清一)
『「あとから考えだした理屈が、逆にその行為の理由になる」ことがよくある』
(リンク先より引用)
という意味合いのこと。
人の感情に理由はない。
感情になりやすい「種」が触発されたときに感情が湧き出る。
理由を説明することができるが、
そのような感情を持たない時にも、その理由を説明することができる。
理由に理由はない。
~~~~~~~~~
でもね。
それでも、「理由」や「説明」を自分で発見してでも納得したい、という思いは誰にでもある。
鷲田さんのコメントにもある「神社仏閣の手水の意図」「歴史の解釈」「社会制度の改造」は、
その理由を求めるもの。
「科学」も、現象からその理屈を考えだすこと。
ほかには、誰かの行動(見えている言葉、振る舞い、表情など)の
意図や背景を深く考えるのも、
「理由を探る」ということ。
人の心の場合は「忖度(そんたく)」というが、
自分が知っていることがすべてつじつまが合ってつながったときに
「わかった」
と、その景色を安心して眺めることになる。
わからないと、理由がわからない恐怖でおびえながら生きなければならない。
だから、理屈や理由を探る行為をやめることはできない。
~~~~~~~~~
もっとも、この言葉を記した三浦さんには別の視点もあったかもしれない。
「後で考えだした理由は合っている」
「後で考えだした理屈が自分の都合に合っている」
「後で考えだした理屈が合っていたと、自分を説得しようとする」
など、様々な場合がある。
「理屈」 → 「行為・結果」
と思われているが、必ずしもこの順番とは限らない。
理屈があるから結果がある。(時間の順番は、理屈→結果)
結果があるから理屈ができる。「時間の順番は、結果→理屈」
結果と理屈には関係ない。「時間の順番も、内容の関連性もない」
それに、
その行動の本人にも理由がわからない場合もある。
だから、「見晴らしがよくなった(=わかった)」は、
何もわかっていないのにわかった気になって終わってしまうから、
「恐れるべきなのかもしれない」
と文章が終わった可能性もある。
まあ、
人は、「自分が納得できれば、自分の心の中のイベントが終わる」
もので
それが、「感情を味わい尽くす」の一つの形だから、
それでいいのかもしれないが。
関連記事
-
-
雨は降るけれど、『ちょうどいい、ありがとう』
the weather front / helmuthess[/caption] 予報通り、
-
-
少しずついろいろなところで、ほかの人の力で成り立っている。
> 全部を満たす訳じゃないけれど、この部分だけはこの人が確実に満たしてくれるという人が無数にいてこそ
-
-
「やっぱり生きていくのが面倒くさい」
> やっぱり生きていくのが面倒くさい > 写真家の父 (折々のことば 選・鷲田清一) 写
-
-
「前者・後者」探求がさらに進化・深化していることを見て
僕は、以下の向江さんの記事を読んで反省しました。 ガーンと殴られた気分でした。 記事自体は、とて
-
-
「共感性」・・・ストレングスファインダー
r☼sita / schaaflicht[/caption] Facebookに書いたもので
-
-
本当に食べたいものは・・・・
> 家庭の味はこれというのがありません。それがいちばん難しいですね。 > ホスピスの調理師 (
-
-
「いい人でいることを手放せない」について
Facebookのコメント欄に書いたことを、転載。 「いい人でいることを手放せない」について
-
-
冬の雨の日の方が 身体が芯から冷えるような気がする
冬の雨の日の方が 身体が芯から冷えるような気がする。 雪や吹雪は、そりゃ寒いが。 雨で濡れ
-
-
方向と力加減を考えて時間に任せる
> 時間というのは、自分の力ではない何かだと私は思う。 > 高山なおみ (折々のことば 選・鷲
PREV :
「あなたに任せるわ」
NEXT :
acknowledgement!


