ほかのひとより「できること」がわかって、受け入れられるのであれば・・・
公開日:
:
et cetera
自分がほかの人より
覚えるのも、
理解するのも、
その先を見通せるのも
伝えるのも、
楽しんでもらえるのも、
役立ってもらえるのも
できることがわかったら、
それをやろう。
~~~~~~~
自分が少し苦痛に思うのは、あるかもしれないが。
「少しの苦痛」もない方がいいが、
「少しの苦痛」が前段階にあることも多いものだし、
考え方・反応のパターンによっては「少しの苦痛」が必ずあるものだし、
「少しの苦痛がある」と思い込んでいることもあるし、
「少しの苦痛があること」は大目に見た方が良さそう。
~~~~~~~
「今の人生と、次の人生のために生きている」
という発想があってもいいが、
『自分が使える時間の上限がある』
のは確か。
「それさえも思い込み」という言い方もあるが、
覚えるのも、
理解するのも、
その先を見通せるのも
伝えるのも、
楽しんでもらえるのも、
役立ててもらえるのも
できなさそうだったら、
それはやめた方がいい。
時間の無駄遣い。
そんなでも、
『好きで、好きで、好きで、好きでしようがない』
というのだったら、やった方がいい。
それは、
「説得をあきらめた」
というのではなく、
「結果は大化けして出てくる(=ものすごい成果が出る)」
と思うし、
あとで「やっとけばよかった」
という後悔もなくなるから。
それに、
その経験は、おそらく後で何かの役に立つもののはず。
「好きで、好きで」と言っているときにはわからないけれど。
~~~~~~~
一つ忠告があるとしたら、
強烈なリピーターは、強烈なお客様になる。
それだけであれば、それでいいけれど、
お互いにその関係に依存しちゃいけない。
あくまでも、お互いに、自分の足で立つこと。
「何もできない人」
は絶対にいない。
何かは必ずできる。
「相手ができること」をスタートに。
自分は「その一部をサポートする」に徹すること。
おそらくあなたは、
「何もできない人」を相手にしたいのではなく、
一部分、一瞬を照らしたいのだ。
そして、それしかできない。
それだけでも、ほかの人に十分役立っている。
関連記事
-
-
仏教が日常に染み付いているチベット人の瞑想
尹雄大 @nonsavoir 仏教が日常に染み付いているチベット人の瞑想 (Twitterより引
-
-
欠けている個所こそ、『ボク』
> なにしろぼくの体はかけていて/あんまり速くはころがれない/それで立ち止っては/みみずとお話する/
-
-
「やってしまった体験」がないと受け取れない
> やろうとしたわけでもないけどやってしまった、ということのほうが表現としての価値を大きく占める
-
-
非常事態時の「前者・後者」の役割は?
熊本地震が発生以来、ずっと考えていることがあります。 「災害発生時に、『前者・後者』は
-
-
旧暦の正月(新月)は?
2018年1月の月巡りhttp://oml.core-infinity.jp/2018/01/syn
-
-
引き受けていたら、繋がっていく!(プログラム編)
Connected! / visulogik[/caption] 今回は、関係無いように
-
-
「自分はどういう人生を望むか」
誰にでもチャンスがある、というのは嘘でも幻想でもない。だが、自分はどういう人生を望むか、という戦略が
-
-
Webサイト「心を整理する」と「反応しない練習」
『【疲れた心に】インドで出家した僧侶が教える「ムダな反応」の止め方 http://next.ri
-
-
自分は何の能力が秀でていて、それを使っているのか?
まずは、 自分が「前者」なのか、「後者」なのか 知って受け入れることです。 「前者・後者」
-
-
人は、「声」「ことば」に頼り過ぎている
Concert for Lost Voices 009 / jvh33[/caption]
PREV :
「創作」は、説明と感覚の折り合いをつけたところに
NEXT :
毎日新聞の「跳べ!イトリ」