「一瞬一瞬どう在るか」
公開日:
:
最終更新日:2017/02/01
et cetera
「生き方」より「在り方」 沢木耕太郎さん「春に散る」、加筆し書籍化 より
連載時、惹かれて読み続けていた。
記事を読んで気づいたが、
連載中、えも知らず不思議な感覚だったのを思い出した。
確かに、
「世界で一番自由になるために世界チャンピオンになる」と
「正しき人になる」が、並んで示してあった。
小説の世界の中の話なので、そういった前提に突っ込みを入れるのは野暮と思っていたこともあり、スルーしていた。
そして、「自由の向こうには何があるか?」
「自由」は、「愛」などとともに根本的な欲求。
けれど、「その先に何があるか?」は、
とても大事だと感じられる。
その存在は一つかもしれないが、
いくつかの言葉が互いに説明しあっている感覚があった。
問いを持ったことはあるが、ほかの人のとりあえずの回答も見当たらす、それ以上突き詰めることもせず、忘れてしまっていた。
結論として、沢木さんの次のような言葉があった。
「一瞬一瞬どう在るか。自分の在り方を意識することが、生き方より大事なのではないか」
人間の意識で意識的に自分を観たら、「生き方」になりそう。
「在り方」は、それの生まれいずるところで、
コントロールすることはできないし、
状態を観察することも難しいのではないだろうか。
そうであっても、「在り方」の積み重ねが人生である。
関連記事
-
-
仏教が日常に染み付いているチベット人の瞑想
尹雄大 @nonsavoir 仏教が日常に染み付いているチベット人の瞑想 (Twitterより引
-
-
タイプ分けされたくない方はスルーしてください
「前者・後者」を望んでもいないのに決めつけられて傷ついた人のお話しを聴きました。 受け入れられ
-
-
無邪気な子供時代の発想でやってみたら?
高畑充希の無邪気な幼少時代も公開!子どもの夢は世界をこんな風に変えていくhttp://grapee.
-
-
明日、少し違う自分になるために
> 生活をすることとは……今日の自分と明日の自分との終わりのない交渉なのだな > 津村記久子
-
-
「共感」してても、「共感されている」と思われることは少ない
> 私には他人の痛みというのがどうしてもわからないんです。 > ある工学研究者 (選・鷲田清一
-
-
「自己肯定」に種類がある。エセもある。
『臭いものにふたをする、それがエセ「自己肯定」の正体』 (リンク先より引用) 痛いけれど、小
-
-
自分が持っている才能をどのように生かすか
Facebookに「後者の会」というグループがあります。 心屋さんが言い出しっぺの「前者・後者論」
PREV :
「不安はね、たった1本の、丁寧な線で倒せるんだよ。」
NEXT :
少しずついろいろなところで、ほかの人の力で成り立っている。


