にしゃんたさんのお母さん、お父さんの言葉から多文化共生の話まで
公開日:
:
et cetera
(一語一会)羽衣国際大学教授・タレント にしゃんたさん 母からの言葉http://digital.asahi.com/articles/DA3S12353583.html?rm=150
お母さんの言葉
~~~~~~~
「仏さまのご加護がありますから、あなたは絶対大丈夫」
「国籍が何であれ、私のせがれは私のせがれなんです」
(リンク先より引用)
~~~~~~~
以下のような理由から、自分で日本の中古車を買って近所に自慢したお父さん
~~~~~~~
スリランカでいちばんわかりやすい親孝行は、日本の中古車を贈ることなんです
(リンク先より引用)
~~~~~~~
多文化共生についての視点
~~~~~~~
日本は少数者に対して優しい社会とはいえず、多数者だけが笑っている。多数者も、少数者も、共に笑える社会こそ共生のあるべき姿だと信じている。
(リンク先より引用)
~~~~~~~
以上、すべて素敵な言葉でした。
--------
「多文化共生」について。
先日記事にした、「何を笑うか」というテーマと同じです。
「笑い」で何を笑っているかを見ると、私たちのレベルがわかる http://views.core-infinity.jp/2016/05/laugh/
多文化共生って、にしゃんたさんの言葉がすべてだなあ。
少数だからって、弱者じゃないし、
弱者だからって、大目に見てもらったり、庇護されなきゃならないものじゃないし、
弱者に認定されないために、多数側に行こうともがくものでもないし。
少数者、弱者であれば、同等の活動ができるような状況を作ってもらう必要はあるし、
もしそれが現金的な補償だったら、それに胡坐をかいている場合じゃないし。
その人、
その文化、
その考え方
その生き方
がそのまま尊重されて、対等に対話できることが必要。
それは、少数者のためのものじゃなく、
多数者のためのものでもなく、
顔と名前と声がある、
私たち一人一人ための
私たち一人一人が自立していけるために必要なこと。
それは、多様性を確保していることになるし、
社会としても強いといえる。
だからこそ、にしゃんたさんの
「多数者も、少数者も、ともに笑える社会」
という言葉は本質を突いている。
関連記事
-
-
リオオリンピック、女子マラソンを走りきった直後の福士加代子さん
三谷幸喜さんの文章。 リオオリンピック、女子マラソンを走りきった直後の福士加代子さんについて。
-
-
「自分が美しいと思える生き方」
ドイツの友達が容姿の美しさはいつか衰えるものだけど、美しい生き方は一生かけて磨かれてゆくものだから、
-
-
「共感性」が高い人へ
無残な現実を写した画像や映像を「直視しなければならない」と思ってしまうのは色んな原因があるんだろうけ
-
-
「辞めろ」と言われても動じない人になる
ストレスの根源を断つ もしくは、生き方の選択肢を捨てない ということ。 ~~~~~~~
-
-
「ただある人に一杯のお茶を淹れる」
> 誰かが私に一杯のお茶をくださったなんて、これが生まれてはじめてです > ある病院の患者 (
-
-
ひっそりとした一人の時間を大事にする生き方
> 選んだ孤独はよい孤独 > フランスの言い習わし (折々のことば 選・鷲田清一) 鷲田
-
-
「私には言うべきことが何もない」・・・・か?
> I have nothing to say and I am saying it. > ジョン
PREV :
「前者・後者」探求がさらに進化・深化していることを見て
NEXT :
人はなぜ子供を持ちたいか?