「親亡き後、子供が安全に暮らしていけるように準備する」
公開日:
:
et cetera
益田ミリさんの新聞コラム
「オトナになった女子たちへ」
(2016年8月19日 朝日新聞)
で紹介されていた文章です。
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障害児を育てることは
「親亡き後、子供が安全に暮らしていけるように準備する」
という一点に集約されます。
多少の不自由さはあるにしても、
字や時計を読めるようにすること、
お金が使えること、
他人に迷惑をかけないこと、
危険から身を守ること、
余暇の楽しみを持つこと。
自立のためには、どれも大切なことです。
安定した生活基盤も必要です。
2007年7月9日 ひととき 面谷園子さん より引用
(元は一文。改行を挿入した。全文は縮刷版でご覧ください)
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子供に障害がある/なしに関わらず、
親の願いです。
そして、
自分に振り返って、
これらすべてができているか、
考えたい。
人によっては、
「危険から身を守ること」
が弱い人もいる。
他人を攻撃的に見たり、実際に攻撃するのではなく、
「危険を察知する」こと。
「危険を察知する」優先順位を落としている人は結構いる。
また、
余暇の楽しみを持つこと。
勤務日が決まっているサラリーマン以外は、
「余暇って何だ?」
って思ってしまうが、余暇の過ごし方は大事。
文章書きに疲れて、誰かのFacebook投稿にツッコミを入れたり、
曲作りに疲れて、チャイムの曲作りをしてしまう作曲家もいるけれど、
身体や脳の違う部分を使う時間を持つのは大事。
ここまで考えるとなおさら、
障害のある/なしに関わらず、
自立して自分の人生を生きるために必要なベース
と強く思える。
~~~~~~~
[補足]
「他人に迷惑をかけないこと」は、
文字通りに受け取ったらいけない言葉。
わざと迷惑をかけちゃいけないし、
できることを「権利だから」と言って代わりにやってもらうのはよろしくないし、
障害があるということで他人が甘めに見てくれていることに図に乗っちゃいけないけれど、
「助けて!」を言えること、
自分の弱いところをさらけ出して他人に助けてもらうこと、
(同時に、できることは健常者を含めて他人のために差しだすこと
というか、自然に互いをサポートすること)
時には、他人に甘えること
(甘えたいときもあるさ)
も含めて、
「他人に迷惑をかけないこと」
だから、誤解しちゃいけない。
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[前者・後者論の視点から]
「前者・後者」論から見ると、障害のあり/なしに関わらず、
「後者」は、誰の手もまったく借りずに自立することはできません。
そんなことをされると、問題が大きくなってから発覚することになり、
余計に迷惑をかけることになります。
「助けて!」と適切に言えること、
「ありがとう」「ごめんなさい」と言えることも大切です。
「前者」は何とかできるようだけれど、誰の手もまったく借りずに自立することはできないことは、理解しておいた方がよい。
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